はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」
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忘れられない言葉があります。
療育ママ友との会話のなかで、すごく共感するし、でもそうじゃないんだよねっていう理想というか建前というか。
この言葉を聞いてから、ずっと自問自答し続けています。
でも答えはでない。
「昨日より、きょうは ほんのすこしでも進歩しててほしい。」
母親が子どもを育てていれば成長を感じたいもの。
笑うようになった、はいはいできた、言葉を発するようなった、食べるようになった、歩くようになった、赤ちゃんのときからの成長はめざましくて、疲れもふき飛ばしてくれる無垢の存在。
このまま成長していく、はず……
とはいかなくなってしまった子育て。
突きつけられる現実。
「この子の個性、特性ですから」
一般的な成長曲線からずれてしまったり遅れたりする子。
それでも、その子なりの成長がある。
ゆっくりだけど成長してる。
そう諭されるけれど、母親はもとめてしまう、年齢にあわせた成長を。
だって大変なんだもん。
はやく手がかからなくなってほしい。
純粋に、子どもの成長をのぞむ気持ちもあるけど。
まわりの子たちよりも10倍手をかけているのに、できないわが子。
それでも「この子なりの成長」を期待して、療育だの、偏食の食事だの、こだわりだの、やっています。
身を粉にして、ってこういうことか。
だから、
昨日より、きょう 1mm でも前に進めてたらいいな、と思うけれど、
じっさいの発達障害児の育児は『1歩すすんで 2歩さがる』
えー、うしろ下がってるやん!ってことが多い、から凹む。
ママ友さんの話、めっちゃわかるよぉ〜と思ってきいてたら、そのあと続いたのが
「でも、それは 障害を受容できていない、ってこと? なのかな?」
一日一歩すすめない子なんだから、そこにまだ期待をしているってことは、その子まるごとを受容できてないのかも?
まだ、ありのままを受け入れてない?
もう深すぎて、頭がクラクラしてきてしまいました。
理想と現実
母親の本音、子を思う気持ち
ぐるぐる回る ぐるぐる混ざる 心と頭。
なんかずっと心に引っかかっているけれど、どうしても上手く言葉にできない。
自分のなかで答えがでないから、なんでしょうね。
ムリに書いたら単語にしかならなくて、みょうにポエムちっくですね、、汗。
同じように感じている人もいるのかな?
賢いママ友は「まだ受容過程のとちゅうなのかな。」と締めくくっていました。
深い、深すぎる。
ああもう呑まなきゃ語れないね。 どんな〆なんだ……
文章が下手で伝わらないかもしれませんが、ママ友の考えにすごく共感したし、わたしはまだ全然みえてないのかな、という迷いだったり。だれかを責めたり、子育てを批判するとかじゃないんです。やっぱり纏まらないなぁ……
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