こんばんは、七子です。
NHK「あさイチ」8/31のテーマが「コロナ禍の新学期 子どもの不安にどう寄り添う?」でした。
子どものストレスや鬱などに親はどうすればいいかというなかなか深い内容でした。
そのなかの相談のひとつ(内容はうろ覚えです)
子どもが宿題をできなくなりました。
(母は)イライラして怒ってしまい、子はますますやる気を失うばかり。
どうしたらいいですか?
それを聞いて、うちなら連絡帳にかくけどな~と思いながら見ていました。
そのあとの専門家のアドバイスでも宿題をへらしてもらうよう先生と話し合ってみるという案も。
スタジオではなんとなく「え?いいの、宿題へらすって……」みたいな空気が流れたような……
今回は『宿題できないなら連絡帳に書く』という、わたしの考えを書いてみます。
「やって当たりまえ」と思ってたけど……
わたし自身が昭和世代。
みんないっしょに、みんなやるなら自分もおなじ量やるのが当たりまえという風潮でした。
子どもながらに、理不尽さにブーたれてたなぁ。
なんで覚えてる漢字を何回もかかされるの??
でも、みんなやってるから。宿題だから。そう納得させられてました。
みんなできる=誰でもできる、ではない
どう努力してもニガテでできないことがある、そういう人もいる。
息子に診断がつくまで、わたしはまったく知りませんでした。
いまは発達障害が知られてきて、そう認識されることもすこしずつ増えてきました。
できないなら、、
だったら、違うやり方・できるやる方を考えればいい。
息子に診断がついたことで
「みんなと一緒にやらなきゃ」から「この子がやれるようにするには」へ
わたしの考え方が変わりました。
「宿題できませんでした」連絡帳にかく親
発達障害ではなくても、体調、精神面、コンディションが悪いときって誰でもありますよね。
そんなときムリしてもやらなきゃ~!ってことって何?
だから、今日はしんどいよねっていうときは、子どもに言います。
「やれるところまでやって、
できなければ
連絡帳にかくよ。」
このセリフは、親からのTKO テクニカルノックアウト。
ボクシングで “セコンドがもう限界だってタオルを投げ入れて試合終了” みたいな。
案外そういわれると、子どももプレッシャーが楽になるみたいでやり終えられることがおおいです。
どうしてもムリそうなときはもちろん連絡帳に書きます。
『今日は○○のため宿題ができませんでした』
親が認めています、という旨を。
うちの場合は診断があるので、新学年になると担任には
「ニガテなものはできる範囲でゆっくりおこなっていきたい」
と伝えています。
やはり、診断がある=大人も「配慮」を意識しやすいなと思います。
連絡帳 + わたしがしていること
「できなかった」と親が書くのはカンタンなこと。
どうしようもないときはそれでいいと思う。
しかし、わたしは思います。
じゃあ、この子ができることって何?
そこで、代替え案をつけています。
・今日はムリなので、明日やります。
・内容がむずかしかったので半分にしました。
・プリントを忘れたので、家のドリルをやりました。
・教科書を忘れたので、家の本を読みました。
こんなふうに、
・できないなら別の日に
・内容を減らして取り組んでみる
・ないなら代わりのもので、
などちがう方法を提示します。
息子はADHDの不注意もあるので忘れ物もおおいです。
なので、忘れた=やらなくていい、にはしないようにしています。
将来的には息子が、自分で自分をリカバリーできるようにする!となるいいな。
さいごに
担任はとても理解があり、わざわざ連絡帳にかかなくても大丈夫とおっしゃってました。
(もしかすると連絡帳チェックが負担になるかもしれませんが……)
でも息子には、連絡帳=免罪符のような気持ちを軽くする作用があります。
自分の口で説明するのがニガテだから、見てもらえば一発で了解!
これもいずれは自分でできるように。
いまは「できなかったことを、自分のやり方で解決法をみつける」ための練習です。
そう思えば、みんなと同じように宿題ができなくてもちがうアプローチで努力してるので、宿題をやってない罪悪感はなくなりましたよ。
by 小心者の母