新年の挨拶に実家へ行ったときのことです。
年老いていく親、この頃はいろいろ思うことがあります。
今できる親孝行、子育て真っ只中の自分、このはざまで揺れる私がいます。
今回はつぶやきです。年老いていく親に思うこと。
ばぁば(実母)は子どもが大好き。だから孫は目にいれても痛くないほど可愛い。
可愛がってくれるのは嬉しいのですが……。
息子が大好きないちごを帰省のたびに買っておいてくれます。お土産も!って2パックも買っておいてくれる。
(↑ イメージ写真です)
が、出してくれるときには、もう少し傷みはじめている……。
孫が来るからって嬉しくって買っちゃうのか、安いうちに買っておこうって思うのか。(たぶんどちらも当てはまってる気がするけど)
「年とって目が衰えちゃってねー(痛んでるかよく分からない??)」って言うけど、正直、感謝のきもちも半減してしまう。
なんとか分かってもらおうと話をするんだけど、「あぁそうか、よーしよーし分かったよ」と言ってまたくり返す。
そしてお土産で持たされる、同時に買ったパックを。初日にすでにもう痛んでるのを……。
帰りにビニール袋にひっくるめて入れて「押し売りだから持っていてー」と。まさに押し売りだわ、断る隙を与えない。
帰ってから荷物を片付けながら大きなため息がでてしまう。
せっかく買ったのに。
息子はいちご好きだけど、
赤くて 甘くて 新鮮なのが 好きなんだ!
こんな痛んだいちごは、甘みも減って味が変わるのに。
息子は感覚過敏があって、味にも異常に敏感で、一度キライと思ったらまったく手をつけなくなる。
ただでさえ食べられるものが限定しているのに、こんなんでダメ食材になったらたまんない。
なにより
私は息子に痛んだいちごを食べさせたくないよ。
可愛い息子にあげるのは 新鮮なものがいい。
ばぁばの気持ちはわかるけど……
いちごの前で何回もため息ついた。
年を取ると遠慮と迷惑の境い目も分かんなくなるみたい。娘であっても嫌なものは嫌なんだけど。
なんど言っても、同じことをくり返す。
母は貧乏そだちで何をするにも『"安い"至上主義』『何でももったいない』みたいな考えで、見切り品で食いつなぐような生活だった。子どもの頃から染みついたそれは決して覆らない、それがたとえ可愛い孫であっても。
(注:よそ様へはこんな失礼なことはしていません。孫の発達障害については伏せてあります。)
いちごを捨てるのは、母の思いを、母の人生を、踏みにじり、そんな母に育ててもらった自分すら否定しそうな、いたたまれない気持ちになる。
いちごを食べさせるのは、母としての私が 許したくない、子どもを守りたい、
全身で拒否したくなる。
キッチンでいちごと向き合いながら、これからを考える。
ばぁばと孫がいっしょに居られる時間は、あとどれだけ?
ばぁばが健康に動けるうち。
息子がばぁばの家に行きたいってついてくるまで。
私がこの気持ちを封じ込め、親孝行と割り切って通えるうち。
親子であっても、おかれた環境、人生経験、時代や時間、さまざまなことが絡みあって『価値観』は変わっていく。
大好きな母。
でも親であっても、相容れない部分。
私もいつか息子の負担になるときがくるかも。
世話をみなきゃという思いは消えないまま、お荷物になってしまうのかな。
まず目の前の悩みは、
このいちごを食べるか処分するか……?
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